マドル・へディド


ほら、聴こえるね 
あの泉の谷から滲みだす
さまざまな色のことばたち 
煌めきながらばらばらに
散っていった無数の肉体 その
かけらのなかを通過していく
衣擦れのような音が。 

渇いてしまう、 
ようやっと辿り着いた 
名を与えられてはいないが 
いまだひかりの残る 
ことばの裾野から
拾われた椅子のもとへ
ゆっくりと 燃えてゆけ。 

次第に明るみだけが
喉もとを照らしだし ひりひりと
貼付いていた声たちの在り処、
ひとつまたひとつ降り積もって 
少しばかり湿り気を残したまま
土塊のうえ、
折れそうに分裂する。

愚かで、いつものらくらしていた
わたしたちの生誕の日を祝うなら
ずっとずっと奥のほう  
あなたが想像するなかで
もっとも涼やかな風の吹く
真白い洞のなか、 
ちいさなロウソクの炎を
そっと吹き消してくれ。 

息をきらし、
あたらしい 果実の響き 
遡行する一瞬 よろめくからだで 
袂を分かつわたしたちの 息遣い
だんだんと 荒れてゆく。 

水底のほうから さらに明るみ、
導きの灯の、撃墜。

二〇〇六年 冬

五年前の冬になる。わたしは、講義をよくさぼった。ほとんどの教官が何を云っているのか分からなかった。なぜ、そのようなことに熱意をもてるのかが分からなかった。自分のなかの意識と法律の文言をすり合わせることがとてもできなかった。端的にいって、大学の場は苦しかった。しかし、キャンパスは好きであった。まるで授業には出ないのに、キャンパスには居た。ただ、居たのだ。建物の脇や図書館の階段で、法言語とはまったく切り離されたことばを求めた。赤色のB5のメモ帳に、さまざまなことをメモした。たとえば、次のようなメモを。

直線の雨と高音の風が街を覆う 

前々日〈兆し〉 曇天、霧雨 前日〈空白〉 冬の去来圧倒的 冬の去来 本日〈始まり〉

トレンチコートで身を隠しトレンチコートで骨を隠す 
木々、森、光、鳥々、葉々、風たち!との
交信ハ不能デアリマス交信ハ 不能デアリマス 
からだ、というからだの回路を閉じて書物のほうへからだをうずめ
うずめる書物のほうへ(カラスのかすれた声、落葉のかぼそい声、風の荒い怒声)
が〈わたし〉を一本の屍に転じさせぬようさせぬよう 
飛行機の轟音 ただただ白い空を裂く日でした

いまでも、この五年前の冬の兆しをはっきりと覚えている。

大学は、学問の場としては非常に馴染めなかった。しかし、何者でなくても許されること、その猶予の期間は、わたしにとっては切実に必要とされた時間だったろうと思う。いま、大学の在った街からは遠く離れ、海辺の町に住んでいる。窓を開け放して、潮の満ち引きを毎朝確認するのが日課だ。本棚には、たくさんの法律の本が並んでいる。あれほど、馴染めず、なかば憎みすらした法律の本を捨て切れないのは、その本を捲っていた時間にいまだ執着があるためか。

バッド・エデュケーション(T.N.のために)

月の陰をゆさぶり
湿りを失ったおれたち
の舌さき

ましろい欲望
のうえを
ふたたび、ゆっくり
歩いて行く。 

冷たい吐息が
けっして
交じり合うことなく
球体の
昏い部分を曇らせている
としても、だ。

まだ生まれはしない
濡れそぼった三白眼
の奥で、
鳴り響いている。

「ひかりを瞳のうえに
 刻めるのか、そのうえ」

慌てて 誤った独白を用意し
急いで 焼け残った椅子をならべる。

しゃがんだ少年が
腕を伸ばすも、 

「金輪際、出合うことなど」

渡り廊下の崩落。

冷えた
コーヒーの色は明るみ、
この冬は
あまりに、邪気のない唇だ。
紫のスェータに身を包み、
時代の、
リールを燃していく。

(その姿こそが。)

          

離陸


冬の午後の 薄い光はきみを地上から数セン
チ 浮上させた 離陸 コンクリの地面から
数センチ 離陸 裸のポプラ 寒さは無数の
音のつぶてとなり コンクリときみのあいだ
で反射する 乱れ 乱反射 寂しさは高まる
ことのない音のつぶてとなり きみをお家に
帰さない 冬の午後の迷子だ 無数の高まる
ことのない音 を譜面に記す作業 きみが帰
還するいつか 僕の作業は 留まることなく 
記す作業は 滞ることなく 冬の午後の 迷
子のきみよ 応答せよ 無音を許さずに 歩
行するコンクリの数センチうえを 裸のポプ
ラ きみで満ちた楽譜 白い紙面から数セン
チ 浮上させて 離陸 音符たちの離陸 き
みの肉体 きみの足 きみの指 燃してしま
うだろう僕は 暖をとるため 燃してしまう
だろう僕は さようなら 冬の午後の迷子の
きみたち  


                              2008年4月

七月のこと

隣室で眠る友人の寝息と、近くの高速道を走る車両の音がこんな夜更け、他人の家にて混じりあう。
私は妙に目が冴えてしまい、携帯のディスプレイの灯りを頼りにこんな散文を綴ったりしている。

友人の出してくれたポテチなどを齧りながら、ぼおっとあすの新馬戦のことなどに想いを馳せる。
救急車が近くを通り過ぎ、あ、ドップラー効果、などと意味もなく独りごちる。
煙草に火を付けると、額に汗が滲む。

あれもまた、これくらい蒸す七月の始めのことだったろうか。
同じように特にあてもなく、別の他人の家で過ごした日々が思い浮かばれ、何故だか懐かしくなる。
昼っまからすることもなく私は友人宅で、ごろごろしていた。
友人は永遠に終わりそうにもないプロ野球のゲームに勤しみ、その傍で、
私はかれの書いていた小説を読んだりネットサーフィンをしたり、これまただらりだらりと時を過ごした。
かれの野球ゲームの行く末にいちいち言葉をかけたり、急に小説の感想を述べたりして
かれもかれでゲームに熱中しながら無駄に律儀に応答していた。

七月の同じように蒸した部屋では、そのベランダにおそらくは
引っ越しのときに用したであろう白い発泡スチロールが捨ててあった。
私が懐かしく想いまた、ほとんど愛しいとも云えるのはその、白い物体が、風に浮かされひらひらと舞っているさまだ。
何故、そんなものに執着を示すのか我ながらよくは解らないのだが、あの白さがひらひらと舞う光景を想い出しては、
友人とその数日間交わしたやりとりがすべて蘇ってくるような気がするのだ。

いま、別の他人の家にて、ベランダには割れた鏡台が置きっ放しにされ、開け放された窓から夜気が忍び込んでくる。
数年後の七月、私はまたもや他人の家にいて所在なくこの光景に想いを馳せるのか。

出立


届かない
まだ手を延ばして 
相違えた指を配る
ぼくたちは林道を象って
淵辺へと たくさんの
息吹を摘んだね
その穢れをまとっても
もう慌てないで 
みじかく、身近に
護っているから 
きみも知っている 
隣町の水夫が
護っているから
穏やかに綴るおれの 
薄い紙にいつのひか
穏やかに刻んでくれ

この七日のあいだに朽ち果てた
獣の数をかぞえたら視力が衰えた 
隣人たちは枝葉をあつめ火を焚き 
朽ちた屍が燻され 絡まった蒸気が 
濁ったからだを覆った 

翔んださきから 
不浄の深沼に 
足をすくわれ 
転ばない方法を 
蝶々は捨てた 
翌日にはこどもたちが 
羽化をはじめ 
繰り返される 
転倒に
あたらしい希みの 
絶たれた
しかしぼくたちには 
脱ぎ捨てられた 
体皮がある

象られた獣たちの足跡 のあまりの小ささ
に手を合わせ かつて踏み固められた刹那 
に 残っていた湿り を想ってきみは 思わず
くしゃみをした      

轟々と
うなっている 
ひと滴
余さずに食んで 
かじかむ 
まだ手を延ばして 
ぼくたちは
触っているね 
摘み穫った
息吹の欠片で
書きつけているから 
たとえば業など
もはや聴こえなかった
どうか荒らさないで 
きみが贈ってくれた
涼しく貧しい 
琥珀いろの数珠
をたずさえ
わたしたちは、きょう 
出立します

暇のためか

煙草を一時的にやめている。
離脱症状か、歩道を歩いていると、吸殻を拾いたい、
拾ってそのままシケモクに火をつけ、
吸引したいという思いが募る。
ので、おちおち外も歩けぬのだった。

そうして、ちょくちょく小腹が減る。
煙草を吸わないとやたら、時間が空く。
腹が減って、時間が空くので、
飯をつくるようになった。

それも無駄に時間をかけて。

今日の三時のおやつには、味噌スープをつくることにした。
小学校の家庭科以来に、煮干しと鰹節で出汁をとってみる。
どれくらい待てば良いのか見当もつかず、
15分位、ひたすら出汁をとる。

冷蔵庫には油揚げくらいしか、
味噌汁に使えそうなものがなく、
もう作り始めて、買い出しなど億劫だから、
油揚げだけを具にする。

酢橘などがあったため、最後に、
絞ってみる。

存外、旨くできて、
まあ、暇だなとも思った。