『わたしたちの夏』(2011 福間健二)について。

ポレポレ東中野で、『わたしたちの夏』という映画をみてから、きっかり五十日経っていた。その間、わたしは、毎日の生活を送り、詩を二篇書いた。ごく短いものを。

そうして、五十日後の十一月五日、今度は十三の第七藝術劇場で、ふたたび同じ映画をみた。

映画と伏線。この関係にはおそらく二つのものがある。ひとつは、映画のなかで示される伏線が、映画のなかで解消されるもの。もうひとつは、同じ伏線といえども、それがスクリーンを越えて、こちら側に辿り着いて来るもの。

この『わたしたちの夏』という映画は間違いなく、後者に属していると思うのだが、どうだろう。たくさんの支流が流れ込み、ひとつの大きな河ができる。その河の流れは、いったん地平のしたに流れ込み、伏流となってわたしたちの現実、わたしたちの生活のほうへと溢れだす。そう、つまりスクリーンのうえで生きられ、呼吸されたものが、こちら側まで、スクリーンのそとまで滲みで、劇場を出てもわたしたちを放さない。その時、たぶん路上の風景も違っている。

それは、単に映画のなかで、9.11についてインタビューに応える男のシークエンス(この場面での、受け応え。例えば「死んだひとを愛し続けるのは難しいと思う。だって、死んだひととはもう二度とことばを交わせないから。」ということばは、映画の重要な伏線であり、わたしたちにとって重要な伏流だろう。)が挟まるからではない。また、八月十五日について、それが終戦の日ではなく、敗戦の日だ、と語り続けた祖父の話をする女や、広島に育ち、この夏の時期になると、親類にどういう惨状であったかという聞き取りを学校の課題として繰り返し行い、何故そういうことを行うのかはっきりとはわからないままも、普段の川が違ってみえるようになったと語る女たちが、「あたかもドキュメンタリー映画のように」登場するからでもない。

むしろ、そういったことばを語るひとたちの存在と、かつての恋人と再会しやがてその死に直面する主人公、千景(吉野晶)や、彼女を「嫌いではなく、苦手だった」と語る、恋人の娘、サキ(小原沙織)、そして、サキの父親であり、千景のふたたびの「夏の恋人」となる庄平(鈴木常吉)の三人が織りなす、それぞれに葛藤と現実を抱え込んだ物語とが、全く同じ地平に立っているからだ。繰り返すならば、それは、物語のなかにドキュメンタリーの場面が入り混んでいるが故に、「現実」味が増すのでは全くない。(そのようなものは、まさに現実に味つけが可能であるかのような錯覚からしか生まれないんじゃなかろうか。)そうではなく、千景の夏も、サキの夏もそして庄平の夏も、それぞれに生きられながら、先程あげた男や女たち、そしてまた駅の構内や通りを行くひとびもまた、同じ夏を生きているのだ。それは、ひとつの地平の、創出といえるだろう。

地平の現れ。それを可能にしているのは、まず間違いなく、登場する役者たちが、スクリーンのなかでしっかりと呼吸しているからだろう。千景やサキや庄平が、それぞれの現実に絡めとられそうになりながら、そこに在ること。不思議なことに、彼、彼女たちがしっかりとそこに、「個」として立っていればいる程、わたしたちは容易に感情を移入することはできなくなる。それは、わたしたちが、同じように「個」として在り、呼吸し、この地平に立っていることを意識させられるためだ。それ故に、安易に「わかる」ということが拒まれる。

たしかに、三人の辿る軌跡を物語と呼ぶことはできるだろう。しかし、物語を語るためにひとが存在するのではなく、ひとが交わるさきに物語が生まれるのだとしたら、まさにこの『わたしたちの夏』は、<わたしたち>、<わたし>や<あなた>の織りなす生の似姿なのだ。そのことこそが、この映画の生きている時間とわたしたちの生きている時間を地続きにする。伏流となって、わたしたちの生になだれ込んでくる。

決して、映画は物語に還元されないし、またわたしたちも、抱え込んだ物語にのみ還元されて生きはしない。そう、何かが「どうしても余ってしまう」のだ。

(この項、続く)