連載小説はじめました

 『溝口ノート(仮)』    
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 白い装束を纏った溝口さんが暗い林のなかでパイプ椅子に座って昼寝していた。彼女はかすかに差し込んでくる薄い陽光のうち必要なものとそうでないものを弁別していく作業のまっただ中にいたはずなのに、暢気に眠りこけていて一体大丈夫なのだろうか。大丈夫なはずがなかった。溝口さん、起きてください!わたしは頭のなかで必死に溝口さんの肩を揺さぶり溝口さんを眠りのなかから引き戻そうとした。彼女はだるそうに躰をパイプ椅子から起こしてわたしの存在に気を留めると慌てて「絶対に間違えないで下さい」と云ってそのまま絶命した。
 
 わたしが溝口さんの登場する夢をできる限り詳細にノートにつけ始めてからもう二年経つ。五日間連続でノートをひらかなければならない時期もあれば、三ヶ月以上溝口さんがどんな端役としても出てこない時期もあった。二年間で合計三十二回溝口さんに関する記述を行っている。三十二回目にして初めて溝口さんは命を落とした。それもよく解らない理由で。溝口さんの「死」に対してわたしはあまり哀しみを感じなかった。また夢のなかで出合えると単純に予想していたからだ。しかし、そうはならなかった。溝口さんはこの三十二回目の登場をもって二度とわたしの夢のなかには現れなくなった。溝口さん、あなたは一体どこへ行ってしまったというの?
 わたしは溝口さんに関するノート(以下、「溝口ノート」と称する)から彼女の来歴を再構成する作業にとりかかった。「絶対に間違えないで下さい」という彼女の最後の言葉が気にかかって仕方なかったからだ。「絶対に間違えない」とは一体何を「間違えない」ということなのか。彼女の人生は論理の破綻や不条理な情景の転換を受け入れてきたはずだ。いや、受け入れざるを得なかった。なぜなら彼女はあくまでわたしの夢のなかに生息するいきものだったのだから。その彼女の指令が「絶対に間違えないこと」というのが一種の論理矛盾だろう。まず、わたしの夢とその記述とのあいだにどうしても跳躍が生じている。如何に夢の進行通りに記述しようと心がけても目覚めてから想起する作業にとりかかるのでさまざまな省略や或は夢自体をある程度わたし自身が理解するための補充が行われているはずだ。では「絶対間違えない」ことの裏返しである「ただしさ」はどうやって担保されるのだろうか。     わたしはとりあえず一次資料である「溝口ノート」を最大限重んじることを自分に課した。少なくとも溝口さんと出合っていた時間の最も側に位置するのはこのノート以外にはあり得ないからだ。よって、これから語られる彼女の来歴のなかでしばしば「溝口ノート」からの直接の引用が顔を出すことになるだろう。そのたびごとに日付を付した注を挟むことにする。


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「緑の壁のひんやりとした手ざわりしか楽しみがないの」
と彼女は云った。わたしはそれがわたしたちのハンストの理由にかなり迫っていることばだと思った。ここでは確かに「緑の壁」を触っているぐらいしか楽しみがない。何故、このような場所に放り込まれたかわたしたちは半分解っているが半分は解らない。わたしと溝口さんでは随分事情が違っているがそれでも「外」のひとたちが一般に思っている程わたしたちは理性を失ったわけではないし、また他人や自分に危害を加えたわけでもない。わたしがJ病院に運ばれたのはクダラナイ理由なのでここでは省略する。溝口さんのほうは彼女から直接聞いた話や、ほかの仲間から耳にした話を総合するとかなり変わっている。彼女はとある郊外のマンションのなかのエレベーターの中に閉じこもっているところを住人に通報され、警察に保護されたのだという。溝口さんが弟と住んでいる家を飛び出し、そのまま三日間帰宅することなく街を彷徨してこの病院に運ばれるまでにやっていたこととはひたすらタンポポの綿毛を集めてその種子を食べることであった。何故彼女が集めた種子を食べていたのかを彼女自身はこう説明している。

〈わたし(注=溝口さん)は、暗さを求めていました。ひたすら暗さを。なぜなら暗いところでしか薄い光はみえないでしょう?手っ取り早く確保できる場所がたまたまエレベーターのなかだったのです。五時間くらいでしょうか?多分深夜の二時くらいからそのエレベーターのなかに立てこもっていたはずです。そしたら、朝の通勤に向かうサラリーマンらしき男のひとが乗り込んできて座り込んでいるわたしに話かけてきたのです。わたしはことばを発するのがもう面倒というかほとんど不可能な状態になっていたので、黙っていたのです。しばらくして警察のかたがきていろいろきかれたのですがずっと黙っていたら、いつのまにか救急車に乗せられてここに連れてこられたのですね。〉(『溝口ノート』二〇〇七年 六月二十二日)

 溝口さんを駆り立てていたものはいわば小さな諦念の集積であった。彼女はひとつひとつ諦めていったのだがどうしても諦めきれないものが最後にひとつ残っていた。それは向日性である。たとえば舗道の傍らに咲く一輪のタンポポに彼女の最後の希望があった。タンポポの種子を食べ続けたのはおそらく小さな向日性を彼女自身のなかに収めておきたかったためだろう。わたしは「抵抗」のためにハンストを続けていたのだが、彼女のほうは「希望」のためにそれを行っていた。隣同士の保護室の壁を通してわたしたちは食事の時間になると互いに憂鬱になるのを感じ取っていた。わたしは溝口さんのからだから小さな光がこぼれだしていくのを何度も夢想した。それはわたし自身の「抵抗」を「希望」に接続していくための牙城のようなものであった。

〈彼女の手や足の指先からほのかな光が漏れだしていた。わたしは嬉しかった。〉(『溝口ノート』同日)

 
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 わたしが出合ったなかで一番幼い溝口さんは、四歳だった。彼女はわたしの実家の前を通っている路地で、ミツバチを追いかけて遊んでいた。小さなこどもなのに勇気があるものだとわたしは単純に感心していた。わたしは彼女が日だまりのなかにあるのを見逃していた。溝口さんは「光のある場所」にあらかじめ憑かれているのかもしれない。それはわたしが事後的に解釈し、納得する寸前にまでいっていたひとつの事実だ。溝口さんにとって光とは何なのか。陽光と月光では違うのだろうか。ランプシェードの光は無関係なのだろうか。隣人のおじいさんがミツバチの寄ってくる草花に水を撒いていた。溝口さんの髪に水飛沫がかかっている。しかし、いま着目すべきなのは彼女の黒髪が如何に濡れかかっていたかということではなく飛沫のなかにちいさな陽光が映り込んでいることだろう。

〈溝口さんは存外恐ろしいひとかもしれない。溝口さんと出合っているときにはわたしのほうはだんだんその存在を薄められていっている気がする。溝口さんのからだがリアルに感じられほどわたしのからだから何かが抜け落ちていく、きゅいきゅい〉(『溝口ノート』二〇〇七年二月二十八日)
      
     
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 しかし、こうやって溝口さんの外堀を埋めて行く方法で、どこまで溝口さんに接近していけるのかはわたしには解らない。「絶対に間違えない」という命題に対し既に、わたしの解釈が溝口さんの構造や溝口さんの力というものを削いでしまっている気がする。