写真を憎んでいたはずが。すっかり写メなど撮るようになり。

子供の頃から、写真というものが嫌いで仕方なかった。
憎悪の対象だった。


ひとがカメラを向けてきたときに、断るという対応がなかなかに面倒で、その勇気もないから、あいまいな表情で写ってる写真が、多分、なんらかの記念写真や、誰かの写メールなんかとしてこの世にあったりするのかもしれない。


反動なのか、なんなのかよく分からないが、10代のころ、映像器をゲットして(動く映像のほう)、ひとを何の意図も無くとりまくった。たぶんに暴力的な意識をもって、人を写していたと思う。
次第に、人を撮ることはなくなって、空とか鳥とかばっかとるようになり、奈良の天川と龍神村で戸外の金色の埃とか、早朝の山際への光を撮って、それを最後に、基本的に映像器との関係は切れた。


その後も幾度か、DVを手にしたが、映像器と自分という関係においてはそれらは関与しない。


人の姿が映像として残るということ、に屈折した思いがあるのだと思う。そして、それが撮ったひとの手元に残るということが、単純に不気味だった。

10代の頃にとったテープのうち、ほぼ全部廃棄したのもそんな気分からだったと思う。