二〇〇六年 冬

五年前の冬になる。わたしは、講義をよくさぼった。ほとんどの教官が何を云っているのか分からなかった。なぜ、そのようなことに熱意をもてるのかが分からなかった。自分のなかの意識と法律の文言をすり合わせることがとてもできなかった。端的にいって、大学の場は苦しかった。しかし、キャンパスは好きであった。まるで授業には出ないのに、キャンパスには居た。ただ、居たのだ。建物の脇や図書館の階段で、法言語とはまったく切り離されたことばを求めた。赤色のB5のメモ帳に、さまざまなことをメモした。たとえば、次のようなメモを。

直線の雨と高音の風が街を覆う 

前々日〈兆し〉 曇天、霧雨 前日〈空白〉 冬の去来圧倒的 冬の去来 本日〈始まり〉

トレンチコートで身を隠しトレンチコートで骨を隠す 
木々、森、光、鳥々、葉々、風たち!との
交信ハ不能デアリマス交信ハ 不能デアリマス 
からだ、というからだの回路を閉じて書物のほうへからだをうずめ
うずめる書物のほうへ(カラスのかすれた声、落葉のかぼそい声、風の荒い怒声)
が〈わたし〉を一本の屍に転じさせぬようさせぬよう 
飛行機の轟音 ただただ白い空を裂く日でした

いまでも、この五年前の冬の兆しをはっきりと覚えている。

大学は、学問の場としては非常に馴染めなかった。しかし、何者でなくても許されること、その猶予の期間は、わたしにとっては切実に必要とされた時間だったろうと思う。いま、大学の在った街からは遠く離れ、海辺の町に住んでいる。窓を開け放して、潮の満ち引きを毎朝確認するのが日課だ。本棚には、たくさんの法律の本が並んでいる。あれほど、馴染めず、なかば憎みすらした法律の本を捨て切れないのは、その本を捲っていた時間にいまだ執着があるためか。