関西の雄、逝く


関西の雄、サッカーボーイ逝く。いまだ函館2000メートルの記録は破られていない。マイルCSでは二着馬の存在さえ掻き消したような圧倒的末脚。豪脚とはこの馬のためにあるような気さえする。しかし、ぼくは昭和最後の有馬記念を映像でみなおしたい。根っからの気性の激しさ。ゲートで暴れ鼻血とともに奥歯を粉砕。血しぶきのなか、出遅れたと聞く。鞍上河内の赤い帽子とともに、白い鼻先、栃栗毛のきみは、オグリキャップタマモクロス芦毛二頭から2馬身弱差の4着入線。結局平成に入って、一度もターフに姿をみせなかった馬、サッカーボーイスーパークリークも、オグリキャップも、タマモクロスもすでに逝き、昭和最後の名勝負を演じた馬たちは、すべて逝ってしまった。

サッカーボーイ、きみの産駒をみに、久しぶりに競馬場に行こうと思うよ。







ロスタイム

己れ、にだけ
忠実であろうとした女の
左腕は今朝 彼等の海へと
絡みついたままもげ 
その、断面からは黒く冷たい
叫びごえが鳴って
ロスタイムの合図とする


 *
あんたの絶望の浅瀬で
いまにもうちは溺死しそうだ
確かなものはすべて 白く
まるいパン皿のうえに横たわってる
脱ぎ散らかした膚を
気にかけながら 性交に
狂って(る場合でなく)、うちは 
ざわつく歓喜をことごとく
踏みつけにした


 *
大衆商品やからさ、うちら
その感情の等価物など
この世に存在しない 
歴史は苦手やった 日本史とか
うちを勉強させるために
平城京は遷都し、長宗我部は統一した
歴史の事実とかいうの、あれ
うち全部架空のことやと思っとる
うちを勉強させるための
それでも音楽は実在した
ちっちゃいころから、うちピアノ
弾いとったから、わかんねん
バイエルも鍵盤もバッハもメトロノーム
ちゃんと、実在しとった
(うち、わかんねん)


 *
おれたちが叩いた
鍵盤はまもなく
白も黒も発火し
奴等の海では
調律がたいへん清らかで
優しい、(おまえの)絶望の
浅瀬では 白い
パン皿に亀裂が入って 膚が
いっせいに零れ 性交のまほろ
ついぞ合一など不可能であって
剥き出しの骨と骨とが
かちかちと鳴っている、それを(二度目の)
ロスタイムの合図とする

リリィさん

リリィさん、今日もぼくたちの波止場で一羽の記号が息をひきとったね。
幾何学の身振りで生きながらえてきたきみのからだに 年老いた砂がまとわりつき
道行き、それは疾うにぼくたちの岸辺では役目を果たし終え
綴じられた〈 〉のほうから穏やかな〈 〉がまた漏れだしていく。
(これもまた生/活なのだ)
ミジンコの眼球にぼくたちの一切の希望が映るはずもなく
リリィさん、死んだ記号の亡骸にそっとあの石を供えてやってくれ。



」空転する さかさまの硝子ペンで
縁どられた空には きみのねりあげた碧 がいまにも崩落しようとしている。
(危うさ、とは無関係に
交 差する二本の白線)
行き止ま/りはどちらですか?
記号の振り返ったさきで小さな性交が終わりを告げ
埋められたボールのほうで哀しみの羽化する音をきいた気がした。



中野の線路沿いの喫茶店で 向かい合っていたきみたちは 白いシャツのうえに 白さを溢した。
夏の午前の陽光でぼくには何も判別がつかず
路上ではもう一匹の白さが干からびていた。


(風は、ときに残酷な行いをし)


ちいさきものども、きみたちの悔い改めた翌日に記号は死/ぬだろう。
ならば、せめて密航せよとリリィさん、あなたは云うのか。



見よう見まねで始められた分散する思考たち
きみからの短い手紙には一本の記号が杙を突き立てられ

「散開せよ。」とただ叫んでいる獣の群れ。

あまりの静寂のなかぼくは雨のさかさまに降るのをみた。




(チャル、チャル)


触覚に零度の信頼を置くことなどできないのだから
森を迂回することなく記号は黒さを纏うのだろう。
中継ぎはいつだって背中のほうへと捩れた場所から始められ


(チャル、チャルー!)


ここから港までに少なくとも千の黒さと沈黙に出合うというのか。

リリィさん、あなたの一番新しい手紙のなかでは二対の
黒く塗られた〈 〉が泣き叫んでいるように見えます。



わたしたちの鎮魂の踊りには右手の長さがいつも余ってしまう。
水に浸ければ少しはうまく作動しはじめるのだろうか?
構築された〈 〉は右手の余った長さの分だけ見遣るのも苦しく、
きみたちの告白はすで/にそこ/に在っ/たものとして発せられています。


(((しゅっぱつの笛は一度、ぼくやリリィさんからは遠い場所で鳴らされていたのかもしれません。



舗道の脇のちいさな向日性。
(最初に光があったという。その光の大きさをぼくはずっと知りたかった!



死んだ記号を舌のうえで転がす身振り、(そして そこから遠く離れろ!
円錐の突端と地中のアンモナイトの眠りとを同じ秤にかけることもできたはずだった。
ぼくの瑕疵の数だけ無尽蔵に海がおおきくなっていく。


速さとは無関係な行いを雲雀たちの旋回のように 擁護することができることなら((できたなら・・・


リリィさん、オソラク ボクハ アナタヨリサキニ ユクンダト オモイ マス 



潜航する きみの、記号の生まれた所在地へと (そこ、には名宛人のない手紙が無造作に散乱していると聞いた。


声ですらないひとつの呻きに人差し指を絡める。
狂/いだしているのはこの秒針のたてる音なのかその鼓動の音なのか。
あたらしい息継ぎにはあたらしい形式が必要です。
おはこんばんちは
おはこんばんちは
きこえていますか
おはこんばんちは



時にはこの逆流する船上の風について リリィさん あなたに報告しなければならないでしょう。


いまだ
途切れない
風の
期待する
白い記号、の
(嵐は一昨日のことだった
残された
ひとびと、の
息継ぎよ
転べ!


傍らの森では暗い鳥たちが盛んに河口に関する取り引きを始め
水先の案内人は始めから死滅していた。



見破ること のむつかしい碧さに貧/困を埋め込んだ〈 〉を日々喰らい続け
消化されない、透明な手紙たちよ!
河口は東であり同時に西であったから微睡むこと、それもぼくたちには許されており
数本の釘が刺さった銅板を方位磁針の代わりにしつらえ
風、きみの弱々しい詩情を薄汚れたマストのうえに素描する。



///あっ つい、リリィ さん あなた はいま どこです か いくつ?
になった きぼう は あまりに みじかい めいはくな あやまちの きごうが ささやくのは 虚偽 です///



終りを示すひとつの鐘の音が鳴り止まず
もはや運航されることのない蒸気船から 夜にだけ獲得された積荷をおろし
集まったちいさきものども きみたちが街を濡らしだすなら
さいしょ の光の大きさを探る術もあったはずだ。
街路樹の白い冷たさだけをあてにして歩くことはできない。
正確に計測すること あるいは 欲望のただしさでうがたれた杙。
道標はすでに千々の欠片と成り果てていたから
見誤らずにいてくれ。


リリィさん あの、まっすぐにのびた国道からはいまも海が見えていますか。



たどりつくことのできそうにない岸辺。
波間には死んだボウフラたちが漂い 狂って
しまった信号は、


     (みどり
      あか、いいえ
      てんめつつつ
      は ははい
      あかあ かか


again(再会)ということばはわたしたちの間では無効であって 


暗い鈍さの向こう側に片足をほうりだし
掴みとれるものなら朝に



(凍てついた水面にはなにが遺されていたと云うのか。


リリィさん あなたからの最後の手紙にはただ「リヴィング・エンド」
と書かれた看板の白黒写真が写り込んでいたね。


短さのあまりの遠さにぼくは少し目眩を覚え 行く先
はずっと彼方だと思い込んでいたがそれはひとつのの誤認だった。


始めから死んでいたのかもしれない黒や白や碧の記号たちを
引き連れてぼくは このボールを今日、ミシシッピ河畔に埋めます。



夜ごと書き付けられていただろう手紙の半分は船上に残し 
もう半分を 暖をとるために燃したことを告/白する(だが、いっだいだれに?
埋められたボールの裂け目から ぼくたちの見遣ることのできなかった全ての末路が漏れだしているのなら・・・


リリィさん、あなたが好きだった唄をぼくは
ひとつでも奏でることができただろうか?


     あなた の
     切り/開いた
     岸辺、の
     深い虚森の底 には
     赤煉瓦の図書館と
     崩れかけた城跡が 
     あった/ね ようやく 白い
     霧雨の
     覆いはじ め響いて いる?


     (チャル
      は ははい
      あかあ かか 
      チャルー
      お おはこん ばんちちは
      きこえて いますか
      おは
      こんばんち
      は!



               2008年11月〜2009年5月に作成
        

ハッピー・エンド


///軽やかさとは必ずしも乗り越えられる為だけにあるのではなく
黙することそれをひとつの命題としたあなたの背中に躓く/// 


こうして
また、
崩れおちた
口に黒い
布切れ
を被せ 冬の
街路に
棄てられた
喉もとから
ひとつひとつ
半透明の
物体
を叩き
おとし 
鈍く
反響する、
石ころ
の内側 
出合い
そびれた宇宙の
欠片と
通信する
手だて 


ここからさき、
叫ぶこと
は封じられ 
小さな
守り手たちが
指と指とを重ね
合わせ
暗い
季節の到来を祈る 
微かに
ひかりゆく、あの
錆びた
砂漠の
ほうへと
足は
埋められ 
発芽する
躊躇いを
胸に抱く
それでも
なお 
白い
ひかりの
末路を
追って
帰り道
出くわした
花々で
満ちる
通信機の


いま、ここで
薫って
いる

写真を憎んでいたはずが。すっかり写メなど撮るようになり。

子供の頃から、写真というものが嫌いで仕方なかった。
憎悪の対象だった。


ひとがカメラを向けてきたときに、断るという対応がなかなかに面倒で、その勇気もないから、あいまいな表情で写ってる写真が、多分、なんらかの記念写真や、誰かの写メールなんかとしてこの世にあったりするのかもしれない。


反動なのか、なんなのかよく分からないが、10代のころ、映像器をゲットして(動く映像のほう)、ひとを何の意図も無くとりまくった。たぶんに暴力的な意識をもって、人を写していたと思う。
次第に、人を撮ることはなくなって、空とか鳥とかばっかとるようになり、奈良の天川と龍神村で戸外の金色の埃とか、早朝の山際への光を撮って、それを最後に、基本的に映像器との関係は切れた。


その後も幾度か、DVを手にしたが、映像器と自分という関係においてはそれらは関与しない。


人の姿が映像として残るということ、に屈折した思いがあるのだと思う。そして、それが撮ったひとの手元に残るということが、単純に不気味だった。

10代の頃にとったテープのうち、ほぼ全部廃棄したのもそんな気分からだったと思う。